嫌な予感したの、電話が鳴ったとき。
焼きたてスコーン横目に電話に出る。

第一声は、「すみません。」















   彼と彼女、道の上 <前編>















フザケないでよ、どれだけ楽しみにしてたと思ってるの?
…なんて、勿論そんなことは言わない。

言える訳がない。

私達にはお互い大切なものがあって、それだけは譲れないのは暗黙の了解。



「仕方ないよ、L」



動揺する心を落ち着けようとしながら部屋を歩き回る。
精一杯の笑顔を電波に乗せて。



「そりゃあ残念だけど……次の機会、待ってる」



悲しい素振りなんて見せちゃ駄目。
気取られちゃダメ、そんなの。
彼が責任を感じてしまうから。



「やだ、そんなに謝らなくてもいいってば」



視界の端、焼きたてスコーン。
焼きたてのいい香りが鼻をくすぐる。



「うん、うん…平気。
 そっちこそ、ちゃんとワタリさんの言うこと聞いて、睡眠も取ってね?」



存在意義、失くしてしまった焼きたてスコーン。
彼の声をせめて刻みつけようと瞳を閉じて、立ち止まった。



「うん……私も。じゃあ、またね」





ピッ


いやに小気味のいい音が部屋に響いた。





「………………………」





あぁ、もうダメ。





「あ゛〜〜〜〜〜〜!!!!!!」





色んな感情で頭がぐるぐるぐるぐるして、どうしようもなくて叫ぶ。
そのまま、私はソファに倒れ込んだ。
いい歳なのに、どうしようもなくて子供みたいに足をバタバタさせてみる。




「世界中の犯罪者が一斉に自首したらいいのに!!」




あり得ないことを叫んでから、苛々して起き上がる。



そうなれば、そうなれば、好きなだけ一緒にいられるのに!

嗚呼、それはそれは素敵な日々が過ごせるに違いない!



所詮叶うはずもない日々を頭に描いて、持っていた電話を床の上にあるクッションめがけて投げつけた。
そのまま込み上げる虚しさに涙を堪える。










…私の恋人は世界警察の最後の切札、世界最高峰の頭脳を持つ、L。
探偵みたいなもの、と思ってもらえたらいい。
Lというのは勿論本名じゃないし、本名は恋人の私にだって教えてくれない。


そんな彼は世界を駆けながら多忙な日々。
一応私だってそれなりな国際的企業に勤めている訳で。

距離がコロコロと変わる遠距離恋愛をしている私達は、滅多に会えない。


それでもお互いになんとか日にちを調整したりするんだけど……。










「明日は無理になりました……か………」


一人暮らしの部屋を急に荒野の様に感じた。





私なんかより、Lは重いものを背負っていて。

私なんかより、忙しいってわかってる。


自分の夢の為に、Lについていくのを拒んだのは他でもない私自身。

せめて後しばらく待って欲しい。
そう言ったらLはきちんとわかってくれた。


だから。


私がワガママ言うわけにはいかない。
例え一ヶ月前から楽しみにしていた約束であっても…駄目になってしまうのは仕方のないこと。





テーブルの上、良い具合いに冷めた焼きたてスコーン。
試しに一つ、手に取って食べてみれば予想以上に出来が良くて。



「……………美味し………」



普段ならとても嬉しいのだけど、今は妙に腹が立つ。
だってそれは明日家に来るはずだったLのために作ったもの。
なのにその目的が失せた今、あの心躍る気合いを一体何処に持っていけばいいのか。



「〜〜っ…L……」



いけない、いけない。

私は頭を振って立ち上がり、会社の同僚宛てにメールを打つ。



“明日の飲み、急に行けるようになったんだけど、まだ席空いてる?”



飲まずにいられるか!!

そう思いながらメールを送信した後。
私はとぼとぼスコーン作りの後片付けを開始したのだった。



































先輩?ちょ、大丈夫ですか?今家に向かっていますからね??」

「ぜぇんぜん大丈夫らよ〜??家〜?うん、わかってるわかってる〜」



嘘つけ……と彼は思ったに違いない。
フワフワした頭で意外に冷静に私はそう思っていた。

暗い夜道を走るタクシーの中。

客は私と、もう酔いの醒めた男が一人。
タクシーの運転手は何も言わず、少し眠たそうにハンドルを切っていた。



この隣にいる男は同じ企業に勤める同僚で、いわゆる先輩後輩の仲だ。
大丈夫だって言っているのに、彼は先輩である酔っ払い(=私)を家まで送るイイヤツである。
でも私、自分で“酔ってる”って自覚あるんだから、そんなに潰れてはいないはず。



とろんとした瞳で流れゆく景色をただぼんやりと見る。
外はもう真っ暗で、明かりの消えた住宅街やらシャッターの降りた店舗などが続く。

墨を流したように黒い夜空は、あの瞳あの髪を連想させるに充分だった。



「………るのバカ……………」

「ぇ?」

「………………」



口から漏れた独り言。
どうせ酔っ払いの戯言であるのだろう、と後輩は思っただろう。










久々の飲み会は、本当は欠席のはずだった。だってLと会う予定があったから。
それが急におじゃんになって、ヤケ呑みしてないといえば嘘になるかも。
無意識の内にペースを上げていた気もするし。


おかげで今すごく気分いい。

お酒ってやっぱり凄い。



でも。



でも………なんだろう。

こんなに浮かれて気分がいいのに、どこか。

どこかがぽっかり空洞な気がして。



…やっぱりお酒じゃ埋められない。



Lじゃなきゃダメ。

Lしか埋められない。



………そんなこと言ったって、無理だって、わかってるけど………。





でも時々ふとした拍子に不安になる。

私たちは一体何処へいくのだろう。


Lのことは勿論好き。愛してる。


でもこの関係、時として互いにとても疲れる。

そんな関係を続けることに本当に意味なんてあるの?
もしかすれば私たちはこの先別の道を歩みだすんじゃないの?


こんな不安がまるで波の様に、わっと胸に去来する瞬間がある。

前例も、類似例も見当たらない私たちの恋の終着点が見えなくて。


息切れしそう……
一緒に走っていけなくなりそう………
それがとてつもなく怖くて。


その度に先々に失う恐怖を拭い去るため“別れる”ことを考える。
こんな関係を疲弊しながら続けていくことに謎を感じて。



大きな大きな迷路の中で、もう進んでいるのか退いているのかわからなくなってしまったみたい。










「先輩どうしたんですか?今日は。いくら何でも飲みすぎでしょう」

「いいの、今日はもう…」


上手く纏まらない思考でそんなことを考えて、何だか泣きたくなってしまった。
そんな自分は馬鹿だなぁと思う、大馬鹿よ。







エル

える



仕方ないってわかってる。


でも“平気”だなんて嘘なの。

全然“平気”なんかじゃない。





あぁもう今日はとことん飲んでやる。
家に帰ったら今度は何にしよう。
冷蔵庫にワインがあったかな。
この間買った日本酒はまだ残っていたっけ?


見慣れた街角が見えた時、タクシーの運転手が前を見たまま話し掛けてきた。


「お兄さん、次の角を右でいいんだね?」

「あ、はい……多分そうで………」

「右です〜!そんで、次の角を左に行ったら私の家〜っ」

「………だ、そうです」


はいよ、と運転手は少しはにかんだ。
私みたいな酔っ払いの相手には慣れているんだろうね。

夜も更けているので、信号は真ん中黄色だけがチカチカ点滅。
赤の一歩手前の黄色信号。
いつまでたっても危険の一歩手前ってことなのかしら。

タクシー独特の匂いが、何だか泣きたい気持ちを増幅させた。










「はい、ついたよ。」


気がつけばマンションの前。
後輩は後に自分が帰る為に、タクシーを待たせておくことにしていた。
一応家の前まで私を送ってくれるらしい。

ぅーん、イイヤツ。
待ち受けがちょうカワイイ彼女さんなのも頷ける。



「先輩、ほら。行きますよ。…なにひとりで頷いてるんですか」

「いやぁ、君がほんとイイヤツだな…彼女かわいいの納得だなと思って…」



そう言って笑いながら顔を上げた。
彼の向こうに見える私の家、マンション。
流石に灯りのついてる部屋は少ない。



………………あれ?


ど、どうして………?





「灯り……ついてる………」





思わず上げた声は、妙に掠れてた。
彼も私の視線を追って振り返る。
沢山の部屋たち、私の部屋も例外なくそこにあるの、だけど。

確かに、確かに消してきたはずよ家の灯り。



「私の…家………誰もいないはずなのに」


「え………」



後輩の声が緊張を孕んだ。



「泥棒……でしょうか。………空き巣とか」


「ど、どうしよう………」



ざっと血の気がひいた。

通帳は何処に置いてたっけ。

今貯金はいくら貯まっていたっけ。

何があったっけ、あの家には。



「とりあえず行ってみましょう!」



後輩の声に勇気付けられて、私は肯いた。
二人で、走り出す。



夜更け、欠けた月、千切れ雲。



二人を乗せたエレベーターが、私たちの不規則な鼓動とは反対に。


ゆっくりと、規則正しいスピードで昇っていった。




















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