最初は悪い夢でも見ているのかと思った───。















   キャラメル 6















頭から布団を被って全思考を否定しようとしたLの耳に、のかすかなうめき声が届いた。



「─────?」



何事かと思い、Lは布団から顔だけ覗かせた。



「……だ、やだぁ………」



かすかに震える声。
泣いているようだ。



「助けて……っ、誰かぁ………っっ」



徐々に大きくなる声。
は眠りの中、泣きながら手を振り上げた。

ただ事ではないと悟り、Lは布団から飛び出す。



「お父さん…っお母さん……っ」

っ」

「やめてぇえっっ!お兄ちゃんを放してぇ………っ!!!」

っっ!!」



悲鳴と叫びがぶつかり合い、沈黙となった。
肩をLにつかまれたは目を見開いたまま固まっている。
依然、目からは大粒の涙だけが、絶え間なく流れつづけている。



………」



今度は優しく、Lは呼びかけた。



「りゅ、ざ、き……?」

…夢ですよ、大丈夫ですよ」

「ゆ…め…?」



つかんだ両肩からが小刻みに震えているのが、Lにはわかった。



「………―――、ちょっと待っていてください」



そう言って部屋を出ると、すぐに小さな箱を持ってLは現れた。
のもとへと戻りながら、その小箱をカラカラと振っている。



「これを食べると結構落ち着きます。さぁ、口を開けてください」



言われるがまま素直に開いたの口の中に、Lは何か小さなものを放り込んだ。
ひとくち噛みしめれば、途端に口中に広がる独特の甘い香り。





(あ、れ─────?)





キャラメルを口に含みながら、は奇妙な感覚におそわれた。





泣いていて。


キャラメルを口に。


微笑んで。



(前にもこんなことが………?)





「大丈夫ですか?」



Lのその声では我に返る。



「あ、うん。…竜崎、ありがとう……。落ち着いた………」

「…急に…雨が…降ってきましたね……」



Lは窓から外を見た。
つられても外を見る。

暗雲が立ち込め、ざぁざぁと激しい雨が降っていた。
雨粒が窓に砕け散っては雫となって滴っていく。

二人でそのままぼんやりと外を見ていると、世界がカッと光った。
暗い部屋の中が一瞬白い閃光でくっきりと照らされて―――…
程なくして、腹に響くような、雷鳴。



「雷……ですね」

「うん…。あ、竜崎、身体は大丈夫なの?」

「はい、おかげさまでもう大丈夫です」

「そっかぁ……ふふ。おじいちゃんの言うとおりだ」



くすくすと笑ったにLは首を傾げた。
その様子に、はおかしそうに言う。



「あのね、おじいちゃんが電話で言ってたの。きっと、寝たら治りますよ、って」



なるほど、とLは頷いた。
実にワタリらしい的を得たアドバイスというべきか。
実にLらしい単純な理由で倒れたのだというべきか。

…そうして二人でまた、外を見る。
雷が再び大きく鳴った。

Lが、ぽつりと尋ねる。



…さっきは、怖い夢でも?」

「……うん、そう」

「事故の……とき、の?」



は黙った。

Lには、ひっかかることがある。



『お兄ちゃんを放してぇ………っ!!!』



は確かにさっき、そう叫んだ。
事故の夢であれば、せんな台詞は出ないだろう。
それとも単に悪夢だったのだろうか。

しばらく揺らいでいたの瞳は、やがて窓の外の一点を見据えた。



「あのね竜崎…おじいちゃんには内緒にしておいてほしいの」

「…何をですか?」

「私がうなされていたことと、これから話すこと。竜崎に聞いてほしい」

「…いいですよ」



相変わらず窓に叩きつける雨。
Lはが言おうとしていることに、耳を傾けた。



「あのね、私の家族………事故で死んだんじゃないの。…殺されたの」



やはりそうか、とLは思った。



「なぜ私に、そんなことを?」

「…わかんない……懺悔かなぁ。なんだか、聞いてほしくて。でもすぐに忘れちゃっていいから。…だめ?」

「いいえ、いいですよ。続けてください。…誰に殺されたのですか?」



はぐっと唇を引き締める。
また、涙が出そうになったからだ。



「名前も、知らない男の人だった……麻薬中毒だったらしくて、強盗殺人。こんな、雨の日。普通にインターホン鳴らして…家に来た。
 なんかね、人を殺してみたかったんだって。玄関に出たお母さんがまず刺されて、次に助けようとしたお父さん。
 二人とも…ほぼ即死だった。お兄ちゃんも切られてね、病院まではもったんだけど…助からなかった」

「…その男は………どうなったんですか?」



は、少し黙った。
目を閉じて、息を吸って…そうして、瞼をゆるりと持ち上げながら言葉を紡ぐ。



「その男はね……私が、殺したの………」





カカッ と、外がまた光った。

数秒の間もなくすさまじい轟き。

しかし、さしものLも驚いてそんな音など聞こえていないかのよう。
目を丸くしてを見つめている。
は前を見据えたまま、自嘲的に笑った。



「当時小学生だった私は、お母さんとお父さんが刺されるのを見た。許せなかった。心から憎んだ。そして…すごく、怖かった。
 台所へ飛んでいって…手に包丁を持った。男は幸いにも私には気づかず…お兄ちゃんを切りつけていた」



は、また目を閉じた。

落ち着く、ために。



「逃げようとするお兄ちゃんを男は捕まえた。今にもお兄ちゃんを斬り裂こうとしている男の横腹を…私が、刺したの…。…二回も」



ふぅ、とは溜息をついた。
こころなしか顔が青ざめて見える。

が、二人の間に降りた沈黙に居心地の悪さをに耐えかねたように。
口を開く。急に、からりと、声色を変えて。



「それから後のことは、あんまり覚えていないんだ。私は幼いし正当防衛だ、ということで無罪だったしね。
 ただ、時折…年に一、二回夢に見る。雨の日が多いかな。ちょうど―――…さっきみたい、に」



そこまで喋ってから、は初めてそっとLの方を見た。
Lが目を丸くしているのを見て苦笑する。



「驚いた?」

「そりゃぁまぁ…えぇ……」

「軽蔑する?嫌いになる?」

「何故?」



その言葉に安心したように、は微笑んだ。
Lはいつものように親指を唇のところまで持って行く。



「まぁ、ワタリには内緒にしておきます」

「ありがとう…。私…竜崎に話してちょっと楽になっちゃった」

「そうですか?」

「そうです」



どこか寂しげに笑うの頭を、ぽんぽんとLは撫でた。
は一瞬驚いたが、そのまま今度は幸せそうに微笑む。
彼女がそう言ったように、誰かに共有してもらうことで少しだけ、荷物が軽くなったようだった。

相変わらず振り続ける雨も、そろそろ小降りになってきたようだ。



「そろそろワタリが帰って来ますね」

「うん…。あ、竜崎」

「なんですか?」

「さっきのキャラメル、もう一個だけ欲しいな。後で食べたいの」

「いいですよ、気に入りましたか?」

「うん」



にはさっきから気になっていることがある。
Lにキャラメルを食べさせてもらった時の、あの奇妙なデジャヴ。

とても重要な気もするし、そうじゃないかもしれない。



(もう一度食べれば、何か思い出せるかしら───…)



すべてはあの、甘い香りの中に………。




















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