一人ソファに座ってぼんやり。
窓の外は喧騒。
空気は汚れていて美味くない。
向かいのアパートでは、中年太りの女性が至極だるそうに洗濯物を干している。
向日葵
真夏日、とでもいうのだろうか。
手に持っていた板チョコを噛めば、それはぐにゃりと歪んだ。
予想外の歯ごたえに一瞬戸惑う感覚が不愉快で、彼は眉を顰める。
といって冷やして再び固める気にもなれず。
噛むことを諦めて、ぺろり………とチョコを舐めた。
下の上に甘みが広がりベタつく口腔内。
日向に出ずに家の中でじっとしれば比較的涼しい今日。
けれど、何かが足りない。
このまるで自分が無機物になってしまったような感覚はいったいぜんたいどういうことだろう。
なのにカラダは糖分を摂取するためにチョコを最早意識せずに舐めている。
それはひどく緩慢とした動作であって、彼の視線はただぼんやりと中空に浮いている。
(暑い………………)
ただそんなことを思った。
遠く、車の音や人々のざわめき、鳥のさえずり、電子音。
それらは全て彼からちょっと離れた窓の外の出来事。
ざわめきも、自分に関係なければ無音である。
彼しかいないこの部屋の静寂をやたらに強調している。
普段は噛めば小気味のいい音のする板チョコも、今日はへばって音も立てない。
がちゃがちゃ。
突如彼の静寂の中に響いた音に、彼はゆっくりと首を捻った。
やがて、ばたん………と音がしたかと思うと、がさがさ、ばたばた。
彼はぼんやり首を捻って後ろを返り見ていた。
ぺろり…とチョコを舐める。
やがて。
「もう、今日あっつーい!!ただいま、メロ…」
彼の恋人が買い物から帰ってきたらしい。
口調は疲労感を漂わせ、けれど足音はぱたぱたと軽快に部屋へと入ってくる。
「………おかえり」
そう言いながら彼女を見やった。
その瞬間、大きな紙袋と一緒に彼女の胸に抱えていたものに、彼の視線は自然と向かってしまう。
鮮やかな、色彩。
輝く黄色と、引き締めるこげ茶色と、爽やかな緑。
こぶし大ほどのものが4輪も、5輪も。
「……何、ソレ」
生命力に満ちあふれた向日葵。
まるで、夏を外から持って帰ってきたかのよう。
「え?何って……向日葵。これは小さめの向日葵なんだけど…知らない?」
「いや、知ってる……けど、がんなモン持って帰ってくると思わなかった」
会話の最中も彼女は手を休めず、キッチンへ引っ込んだ後でやがてドコで買っていたのか、ガラス製の花瓶に向日葵を活けた。
そうしてまたこちらへと出てきて、その向日葵を窓辺にコトリ、と置く。
夏の日差しの中にある向日葵は、やはり夏の瑞々しさをこの部屋に薫らせるようで。
ガラス製の花瓶、その中の水が涼しげな影を日向に伸ばしている。
それを見て彼女は満足したようににこりと微笑んだ。
「あぁ、確かに。私好きなんだ、向日葵。花屋さんで見かけて衝動買いしちゃった」
「ふぅん」
そうして彼女はまたキッチンへと戻っていく。
「こう、さ。健康的で凛としたカンジがあるよね。
それに、在るだけでぱっと空気が明るくなるの」
「まぁ……な…」
なんとなく彼は立ち上がり、そのまま窓辺へと歩いていった。
ぺろり、ぺろり………チョコを舐めながら。
向日葵は陽の光を受けて存分に輝き、太い茎に水を通してぐっと頭を持ち上げている。
(凛としていて)
黄色が、眩しい。
(在るだけで、空気が明るくなって)
「……みてぇ」
「え?なんか呼んだ?」
ぼそりと呟いた言葉に、彼女がひょこっと顔を出した。
「…何でもねぇよ」
何だか口の端が緩んでしまいそうで、彼はわざとしかめ面を作ってチョコを舐めた。
そう?と彼女は首を傾げると、またキッチンへと引っ込む。
そうして、冷蔵庫や棚やらに食料を詰めている音がする。
彼は無意識の内に呟いてしまった言葉に今更ながらに照れくさくなって、窓辺の花をやっぱり見ていた。
「でね、向日葵ってさぁ青空が良く似合うの。メロ聞いてる?
向日葵って日本の夏…って感じがしたんだけど、アメリカにもあるんだねぇ」
「あのな、向日葵はアメリカ原産なんだぜ?」
「えっ、そうなの。へぇ…」
彼女に似た花を、一本すっと彼は抜き取った。
目を細め、顔に近づける。
香りはそう強くない。
そこが、いい。
花を戻して振り向いた部屋は、彼女と向日葵の相乗効果でさっきよりも幾分明るい気がする。
チョコを、またぺろり……と舐めた。
何故だかとても、美味しかった。