「ねぇねぇ総悟?今日はなんの日でしょーか?知ってる?」
背中から聞こえた声に、俺は一瞬歩みを止めた。
思わず口元がへの字になっている自覚は―――…ある。
「なんですかィ。その、おんなの面倒臭さを凝縮したような質問は」
「いいじゃんかたまにはッ。はいっ!なんの日でしょォーか!」
面倒臭さを滲ませながら言葉を返したところ、ぽかぽかと肩口を叩かれる。
負ぶっている女からは、微かにアルコールのにおいがしている――――――…
かえりみち
夜中だっていうのに、歌舞伎町って町は相変わらず其処彼処でネオンの光がぎらぎらしている。
昼に較べればだいぶと人通りが減ってはいるが、だからこそ治安の面で言えば問題だ。
なんだかよく分からない、要領を得ない内容の電話が鳴ったのは、ちょうど30分程前のことだった。
場所が場所でなければ。
相手が相手でなければ。
自分のことは自分でどうにかしなせェと、放っておくことも出来るのだが。
「今日ですかィ…、…酔っ払って蹴躓いてすっ転んだ挙句の果てに、
下駄の鼻緒ぶっちぎって車を呼ぶ金も無く途方に暮れた女を負ぶって…家まで帰る日ですかねィ…」
「う〜〜〜〜ん、あってるんだけど…あってるんだけどォ〜〜〜〜〜………
や、てゆか総悟サン、今の嫌味だよね。ほんと。ほんとごめんって。ほんと。申し訳ないと思ってるって。」
これが土方のヤローならぶん投げてやるところだ。
いや、そもそもヤローを負ぶってやる状況がまずねェな、いついかなるときもアイツだけは置いて行きまさァ。
………―――と、いうか。
何で酔っ払いのくせして良い匂いがするんですかねィ、コイツは。
背中に感じる、温もりと重み。
歩くたびに聞こえる、衣擦れの音。
はらりと落ちた髪糸が、頬や肩に触れてくすぐってェ。
時折、なんだか不明瞭な言葉をうにゃうにゃ呟くさまは酔っ払いそのもので。
女子会だか仕事の愚痴会だか何だか知んねェが、ここまで飲みすぎるのはどうかと思うが自分もひとのことは言えないクチ。
自分の手を煩わせた礼だけは、後日きっちり取り立てる心算ではあるものの。
―――まあ、迎えに来て正解だったな、と思えるには思える。
場所が場所でなければ。
相手が相手でなければ。
自分のことは自分でどうにかしなせェと、放っておくことも出来るのだ。
いわゆる恋仲になった、惚れた女でなければ。
「ねぇねぇ、なんの日?」
「何の日っつったってねィ………」
「総悟分かるかな〜?いやー、分からないと思うな〜〜………」
「………………」
そう言われるとなんかムカつくな。
しかし、一寸考えてみたけども分からねェ。
誕生日でもイベントでもなければ、何かの記念日かと思ったが。
恋仲になったのは今年のはじめ頃で、今日は何ヶ月目だとか何日目だとかキリの良い日でもねェ。
初めて出会ったのはもう何年も前だが、夏の終わりだった。
「あのねぇ、」
背中でえへへと笑う声がする。
「わたしが総悟に惚れた日なんだ〜〜〜」
ひどく上機嫌な、甘ったれた、声。
――――――…なんだそれ。
「……へェ。そいつァ知らなかったぜィ」
なんだそれ。
分かるわけないだろ。
繁華街を抜けた。人通りは更に減る。というか俺ら以外に誰もいねェ。
店じまい後の店。暗くなったショーウィンドーに映る男。
女を負ぶって歩く男は、通常どおりのようでいて、なんだか参っちまったような面してる。
(情けねェ、面………)
「よィ、」
良かった今、彼女が酔っ払っていて。
良かった今、周りに誰もいなくて。
「家戻ったら、憶えとけよ」
「……zzz」
「寝てんじゃねーや」
背中に負ぶったぬくもりをひとまず電柱にぶつけ、
「痛いッ?!」
歩みは続く。
ネオンの海から遠ざかれば、道を照らすのは仄かな月光。
見上げれば、細い三日月まで俺を笑っているように見えらァ。
「………………ほんと、憶えとけよ」
「???」
どこかふてくされたよな呟きは、足音と共に闇夜に溶けた。
或る特別な日、三日月見下ろす、かえりみち。