行かなければ。

行かなければ。

ビルの森を抜け、オレンジの街燈頼りに、ミルク色の霧をつっきって………。















   手を組んで、神に祈る















「ふ………ぇっくしゅん!!………んぅ………」



自身のくしゃみによって、眠りから目覚めてしまったらしく、はごそりと動いた。

だんだん覚醒する意識………妙に寒いことに気付く。
身体を震わせながら起き上がってみると、掛け布団が無造作に床に落ちていた。
おそらくは寝ている間に蹴飛ばしでもしたのだろう。



「あ〜ぁ………もォ………」



無性にむなしくなったが、そのまま寝る訳にもいかない。
溜め息ひとつ、布団を拾う。

中途半端に眠い瞳で窓を見れば、カーテンの向こう側は暗がりの中でぼんやりと薄青い光をたたえていた。
おそらくは夜明け前。
きっと外は一面、ブルーとグレーの、混ざったような色をしているのだろう。

新聞配達のバイクが、遠くでエンジンをかけられる音を聞いた気がした。
どこかでカラスが物寂しげに鳴いている。


芯まで冷え切ってしまっていた身体を、足元の電気ストーブで温めながら、枕元の時計を見た………午前五時近く。



(どうせ今日は休日だし…もう一眠りするかな………)



そう思って、ストーブの電源を切り、コンセントを引っこ抜く。
もそもそと布団に潜り込み、自身の体温にまどろみかけたその時……………。




  ぴーんぽーん………




「……………ッ?」



一瞬、耳を疑う。

確かに鳴ったアパートのチャイム。
青い静寂の中、鳴り響いた。

確かに、この、の家の………。



(誰か来たのかな?)



軽く首をひねった。



(………………………こんな時間に?)



一瞬、ホラー的な思考へと辿り着く。
そう考えてもおかしくない時間帯───背筋がすぅっと冷えた気がした。



(ハハ…まさか………ね)



そんな思考を振り払って、はカーディガンを羽織った。
スリッパをはいて、そのままドアフォンに出る。

冬の朝、フローリングの床に素足は、床暖房でもしてない限り自殺行為だ。



「………はい」

『私です』

「………?!ちょ、ちょっと待ってて………!!」

『言われなくても待………』



  がちゃん!







は急いでドアフォンを切り、慌てて玄関へと向かった。
ある意味、この時間帯には幽霊よりも現れそうにない人物が、の家を訪れたからだ。

鍵を開け、勢いよく扉を開けると、そこには。



「ぇ……えるっ?!な、ぇ、ぇぇえ………?!」



突如現れた彼は、いつもどおり猫背で、普段着で、白い霧を背景に立っていた。



、そんなに大きな声では近所の方達に迷惑ですよ」

「ぇ…っ、あ、うん。そう、そうだね。ちょ…コートか何か着てこなかったの?」

「嗚呼…道理で寒いと思ったら…」

「風邪ひくよ……とりあえず家にあがる?」

「はい、おじゃまします」










夢うつつ。

は幻でも見てるのかと思ったが、そのLは確かな存在感を持っている。
廊下に上がって一瞬立ち止まると、裸足でぺたぺたと部屋へと歩いていった。
のベッドに座って勝手に電気ストーブの電源を入れ、足を暖めて始める。

電気ストーブのオレンジ色の光だけが、電灯をつけていない薄暗いこの部屋の中でLをやんわりと照らし出していた。



(…床、冷たかったんだな………)



足を暖めているのを見て、はそう思った。
裸足で廊下に上がって、一瞬立ち止まった時のLの無表情さを思い出す。



(……痩せ我慢?)



そう考えると何だか妙におかしくて、軽く笑みがこぼれた。
Lが怪訝そうにこっちを見たので、そそくさと台所へ向かう。



「紅茶とコーヒー、どっちがいい?」

「では、紅茶で」

「ぁ、ココアもあった」

「そちらのほうがいいです。うんと濃ゆくいれて下さい」

「わかった」



昼間には考えられないほど外は静かで、世界に二人だけしかいないよう。

は手際よくココアを準備する。



「ワタリさんは?」

「一人で来ました」

「一人…?どうやって?」

「車で」

「ぇっ?!Lって運転できるんだ?……はい、Lのココア」

「ありがとうございます。一応、車の運転ぐらいできますよ」



Lは受け取ったココアを一口啜り、満足気に味わっている。
にはあんなに濃いココアは飲めない。
Lの隣に座って、普通の一般的なココアをすする。







なんだか信じられない状況。


夜明け前、電気もつけずに二人。
寄り添って、ココアを飲む。
まるで、静寂を楽しんでいるかのように。

ただ電気ストーブのみが、かすかにジジジ…と音を発しながらオレンジ色の光を放つ。

カラスが、また鳴いた。


なんだか信じられない状況。


はもう一度時計を確認する…午前5時過ぎ。



「ねぇ、一体どうしたの?……こんな時間に、一人で」



疑問は独りでに口から出ていた。
Lは、黙り込んだ。

時計の秒針…その時を刻む音が、やけにの耳に障る。










「夢を…、」



Lは俯いた。



「夢を見ました」

「…夢?」


空になったマグカップを両手で弄ぶL。
呟くように答えた。


「昔…神を……た頃の」



よく、聞き取れなかった。





そして二人はまた静寂へと沈む。





は何と言えばよいかわからず、残りのココアを飲み干した。
空になったマグカップを、テーブルの上にことりと置く。

と、Lの手が伸びてきてを絡めとった。

横ざまに倒れたが、Lの胸にしっかと抱きかかえられる。
布越しに感じる、体温。
抵抗することなくその腕に収まったは、心地よさに目を閉じた。



「昔……貴女に出逢うよりもっと昔。神に祈った日々があります」

「………その時のことを?」

「えぇ、夢に」







まだ本当に幼かった頃。


心の底から信じていた訳ではない。
特定の名に気持ちを傾けていたのではない。


ただ、漠然と。


この世界の流れを作る大きな何かに。
自分の預かり知らぬ超越した力に。

現存する言葉で表すなら「神」と言えるべき存在に。



祈った。



特定の何かを欲したのではなくて、曖昧に。

……答えを。



この説明できえぬ感情に。

この不安定な自分に。



答えを。


答えを。


答えを下さい、と。










「……貴女だったのかもしれません」

「ぇ?」

「ずっと…待っていたのは」





何時祈りを止めたのか覚えてはいない。

何を諦めたのかすら、そのきっかけが何だったのかも覚えていない。





ただ。


その夢から目覚めて。


一番最初に、何よりも欲したのは………。





「だから、逢いに来ました」




















ぼんやりと。

Lの言葉が繋がるのを聞いていたは、ただ黙ってLを見上げた。
そしてそっとその頬に触れて、やはり黙ったまま微笑んだ。

彼の言葉の断片を繋げてみても。
頭が弱いから何を本当は言いたいのかわからない、とは心の隅にありつつも。






理論じゃない。


謎解きじゃない。




第六感で感じている、このえも言われぬ感覚を。


人類はどのような言葉に表すことができるだろう。







ただ黙ってそのまま頭を撫でると。

Lはその真っ黒な目を細めて。


微笑んだ。





















「……なんだか、眠くなってきちゃった」



はそう言って窓を見た。

夜が、明けるのだろう。
いつの間にか青はその濃度を限りなく薄め、白く輝き始めている。



「寝ますか?」

「ん……」

「一緒に寝ても?」



眠たげに目をこすりながら頷いたを、Lは座っていたベッドに寝かしつけた。
そうしてその横に、自身の身体も滑り込ませて横たえる。
急に眠気が襲ってきたのか、はもう半分寝かけているようだ。

Lはそっと片手を伸ばして、の手を取った。
は目を閉じたままほんの少し口の端を上げて、互いの指同士を絡めてその手を握り返す。



その一連の動作が、限りなく愛しく思えた。



Lは心地良さにそっと目を閉じた。
その耳に、ゆったりと、それでいて弱々しいの声が届く。



「じゃぁ…私は…これからもずっと…Lと一緒にいれるように…お祈り、しようかな………」



やんわりと呟かれた言葉に、Lははっとしてを見た。
けれど彼女の口からはすでに規則正しい寝息。

Lはそのまま、彼女を凝視した。



(『これから』の話なんて…今までしようとしなかったのに……)



しっかり握りあった手を、何とはなしに見た。

確かな温もりを、感じる。
誘われるように、まどろんで来たのもわかった。


今にも閉じようとする寝ぼけ眼に最後に映ったのは。





(ぁ………)





まるで


二人で一人。





手を組んで


神に祈るかのよう。







…祈ると、すれば







(…これからもずっと…ずっと一緒に…………)